傑作が揃った2021年の春アニメですが、今回は「Vivy -Fluorite Eye's Song-」の感想をですね、書きたいと思います。
ま、先に言いますが、クソミソに長いものになってしまいました。冗長な感じ。
最初ね、春のアニメはどんなかなー、って下調べしてる時にもですね、気にはなったんです。でも…外しました(^^;;
というのも、「またアイドルアニメかー」と思ったから。
もう、いいんじゃないッスか? アイドルアニメ。大量生産され杉。そもそも俺、アイドル興味ねぇし。
ってな感じで外したんですね、一回。
でも、友達に勧められたので、改めて予告のPVとか観てみたら、まぁ、やっぱり面白そうではあるな、と思い直して観てみることにしたんです。そしたら…。
面白かった。
いや、観て良かった。俺の友達ナイス!
と、言いつつも、最後の最後でコケちゃった感じですかねー。俺的には。
物語のはじまり
そんな感じでですね「またアイドルアニメか」という予想を180度覆す面白さでしたねー。いや、びっくりした。
かなりのディストピアアニメで、AIの反乱で人類が滅びそう、というスタート。ま、ちょっとグロかったですけどね。ジェノサイドシーンが。まぁ、それは最近のトレンドなんでしょう。
で、博士らしき人がAIに殺される直前、最新鋭のAI・マツモトを100年前の過去に送って(そこはどうやったかは割とうやむや)歴史をやり直そうとします。
マツモトに託されたミッションは、史上初の自律型AIの歌手・ヴィヴィと共にAIを滅ぼす、というもの。
つまり、この物語の主役であるヴィヴィというAIに、言ってみれば彼女の同胞であるAIを滅ぼすように指令する、ってことなんですけど。
…どんだけの業の与え方だよ! いやー、性格悪いなぁ(脚本家に対して『性格悪い』は誉め言葉)。
ちなみに、AIの反乱、という点では個人的には「ブレードランナー」を思い出してしまいました。
それでまぁ、ヴィヴィとマツモトは反発し合いながらも協力し、最初のミッションを無事遂行します。で、二人は仲良くバディとなるのでした…、と単純にはいきません。
ヴィヴィと仲の良かった女の子が飛行機事故で亡くなってしまうんです。しかも、この子はマツモトが入るぬいぐるみを作った子で、今後メインキャラになると思わせる演出だったんですね。だから、余計にショックなシーンでした。
未来から来たマツモトの情報で、ヴィヴィはそのことを知るんですね。で、当然助けようとするんです。でも、マツモトが力ずくでそれをさせない。
AIを滅ぼすため以外の歴史改竄は許さない、ということです。これが怖くもあり、また業を感じもする。
未来を知るということはこういうことなんですね。怖さを感じつつも、非情さを持たなければならない。そういうものに対して、今後ヴィヴィは立ち向かっていかなければならない。
そういうことを端的に、衝撃的に、わからせるシーンでした。
ただ、ちょっと思ったんです。ヴィヴィにはこの段階で、既に感情があるんではないか。
この物語の、多分一番のテーマは「心とは何ぞや?」。AIであるヴィヴィは心をこめて歌を歌うことができるようになるのか? つまり、心を持つことができるのか?
この物語では、AI一体一体に使命が与えられています。使命とはAIにとって最も重要な、謂わば、アイデンティティのようなものです。
ヴィヴィの使命は「歌で人を幸せにすること」。そのためには「心をこめて歌を歌わなければならない」。
心をこめる。つまり、感情がなくてはいけないんですね。
この、飛行機事故について言うと、マツモトは正しくはあるけど、目の前の人を助けようとはしない。逆にヴィヴィは歴史を改竄しようとも(不正を犯そうとも)、親しい人を助けようとする。
マツモトの行為は確かに物語の中では正しいことなのかもしれないけど、なんというか、人情がない。心がないというか。
一方のヴィヴィは、禁を犯そうとする。しかし、それは好きな人を助けるためで、だからこそ、むしろ「人間」臭い。
そんなヴィヴィが心をこめることについて悩む、ということは何か面白いし、むしろ、「心をこめるとは何だろう?」という悩みそのものが人間臭い。
未来から来たはずの、オーバーテクノロジーのAIの方に感情がなく、古い初期型のAIの方に感情がある。
この、ちょっと逆説めいた二体の関係が今後どうなっていくか、それも楽しみなはじまりでありました。
キャラデザ・作画・アクション
設定やストーリー、作画や細かい動きの演出など、実に丁寧に作り込まれていましたねー。あらゆる意味でレベルの高い作品だと思います。
キャラデザは、ややもすると、特にこれといった特徴のない、アクの弱いものではあるけど、それだけに万人受けするようなデザインであると思います。
それに、何と言っても、作画がすごい。ホント美麗。「これテレビアニメ?」っていうくらい。映画アニメ並み、いや、それをも凌駕するくらいのクォリティでした。しかも毎回毎回。
これだけ作画崩壊のないアニメはそうそうお目にかかれないと思います。
また、アクションシーン、戦闘シーンがものすごくクォリティが高い。これは同じく2021年春アニメの「86」もそうでしたね。
やはりCGの導入があるからでしょうか、アクションシーンは格段に進歩していますね。
これだけのクォリティの動きを毎週観れる(しかも地上波放送だからタダ! ダータ! 無料!)んですから、なんともすごい時代です。
キャラクター
主なキャラクターは主役のヴィヴィと、その相棒のマツモト。それに各エピソードでゲストとでも言うべき、人間だったりAIだったりが登場する、という感じ。
さっきも言いましたが、主役のヴィヴィのキャラづけが良いですね。
彼女は「初の自律型AI」ということなんですけど、「初の」ということは、それだけ古いということでもあり、「初」であるが故に初期不良もあるだろうし、試作品的な意味合いも強い。
ということはつまり、あまり出来が良くない、ということ。
でも、百年後にも個体が残ってる骨董品はヴィヴィだけなので、仕方がなく今回のシンギュラリティ計画に選ばれた、という後ろ向きな理由が良いですね(まぁ、真実は違ったんですけど)。
そんな後ろ向きの理由で業を与えられるのだから、たまったものではないですね。しかしそれが良い。
また、このヴィヴィはAIなので、感情は当然ないんですけど、さっきも言ったように、感情らしきものは、かなり初期の段階で既にあったように思んですよね。
逆に未来から来た最新鋭のマツモトの方が、口は達者だけど、感情はないように感じます。
ちなみにこのマツモトの声は福山潤。可愛らしい声を出してはいるけど、使命のためには非常を貫きすぎていて、どことなく怖い。
最初はなぜこんなキャラ然としたキャラクターを福山潤にやらせるのか疑問に思ったんですけど(キャラボイスももちろん上手いが)、その「怖さ」の部分を表現できるのは福山潤しかいない、と観ていてだんだんと思うようになりました。
ルルーシュとか、怖かったですもんね。
物語の分岐点
人間とAIが結婚する、というエピソードがあったのですが。
その設定もまた然もありなんという感じで、ありそうな未来を予測しててすごいなぁと思ったんですけどね。
で、それもAIが更に進化する契機となる出来事の一要因だったりします。当然ヴィヴィとマツモトはシンギュラリティ計画の対象として、使命を遂行します。
で、人間の男性が愛した女性型のAIが、とあるシステムに取り込まれてしまいます。ざっくり言うと、そのシステムは更なるAIの発展を今後促していきます。システムを止めるためにはそのAIを破壊しなければならない。
もちろん、最初はヴィヴィも悩むんですけど、背に腹は代えられぬということで、AIを破壊するんですね。
その男性も納得済みではあったんですけど、使命の遂行を報告したヴィヴィの前で自害してしまいます。
自分の歌で人を幸せにする、という使命を与えられ、未来においてAIから虐殺を防ぐために、人間を守るためにシンギュラリティ計画を遂行したヴィヴィは結果、人を不幸にしてしまいます。
人は思いつめると、何をするかわからない。そのことをAIであるヴィヴィとマツモトには理解できなかったのでしょう。
「最新鋭」のマツモトはそんなこと屁とも思わなかったと思いますが、感情らしきもののあるヴィヴィはそうはいきません。
この事実を突き付けられ、ヴィヴィの回路はショートして、意識を失い、倒れてしまいます。
これは非常に衝撃的な結末でした。この時の絵がまた象徴的で、ヴィヴィの片手にはAIを破壊した時の、多分燃料なんでしょうか、青い液体がべったりと着いていて、もう片方の手には、自害した男性を抱き起こした時の血がべっとりと着いていました。
赤と青のコントラスト。これは、人間とAIが決して交わることのないことの象徴のような絵でした。
思うに、ここがこの物語の大きな分岐点だったように思います。
歌で人を幸せにする、その延長線上にあるシンギュラリティ計画に邁進してきた、その自分のやってきたことは間違いだったのか、という疑問が出てきたのだと思います。
そして、人間とAIの決定的な差を、ここでヴィヴィは見せつけられたのではないでしょうか。まさに理解不能な存在として。
人間が理解できなければ、心が何なのかは、当然理解できません。
これ以降、ヴィヴィは歌を歌うことができなくなります。
回路がショートしたヴィヴィの体には、別の人格が埋め込まれ(ディーバと言います)、そのディーバは歌を歌うことができたのですが、ヴィヴィは歌うことができません。
ヴィヴィはこれ以降、AIによる人間虐殺が行われるまで表舞台には出てきません。基本的には内の世界へとこもるようになります。
そこで、心とは何か、歌うとは何か、を彼女なりに模索することになります。そのことは当然、人間とは何か、に繋がっていきます。
そして、マツモトを作った博士との交流が始まります。そしてそれが、後のシンギュラリティ計画に繋がっていくのです。
また、ディーバの登場も象徴的ではあったかもしれません。
このディーバは「心を込めて歌う」ということができたようなのですが、どういった経緯でそうなったのかは語られませんでした。
しかし、ヴィヴィがあれだけ苦悩して、最終回でやっとその答えらしきものを発見したのに、このディーバは割と簡単にそれを手に入れているようなんですね。
しかも、ディーバは「心を込めて歌う」ということが何なのか、彼女なりの答えを明確には語ってくれませんでした。
おそらく、あれだけ苦悩してその答えに辿り着いたヴィヴィのいう「心」と、ディーバが嘯く「心」は、ひょっとしたら違うのかもしれません。
ディーバの出した「心」の答えは、まぁ、言ってみれば、深みのないものだったのかもしれません。
苦もなく「心」を手に入れたディーバ。「心」を手に入れるために苦悩し続けたヴィヴィ。
その二人の出した答えが同じものとは、僕には思えないかなぁ。
その一つの象徴が曲ではないかと。
ディーバは曲を作ることはできませんでしたが、ヴィヴィはAIとして史上初めて、曲を作ることができました。
思うに、まぁテクニカルな部分もあるとは思うのですが、基本的には作曲とは感情の発露であると思います。
確かに、最近ではそれこそAIが作曲をします。ですが、それはアルゴリズムを組まれた上でのものであり、この物語でヴィヴィが行ったような「自発的な」動機ではありません。
その作曲をヴィヴィはできた。ディーバはできなかった。
ここに二人の大きな差があるように思います。
それが答えの一端というか、ヒントのように思えるような気がします。
そしてまた、この「歌で人を幸せにするはずが、自分の行為で人一人が不幸に陥ってしまった」というこのエピソードの結末は物語全体の行く末をも暗示しているようです。
それは、最終回の一つ手前の回でシンギュラリティ計画の全ては無駄だったことがわかるのです。
シンギュラリティポイント
そして物語もいよいよクライマックスを迎えようとする頃、なぜシンギュラリティ計画が失敗したのか、がわかります。
ヴィヴィの百年の戦いを見続けてきたアーカイヴというAIのボスみたいなマザーコンピュータ(で、いいのかな?)が、正史に戻るように仕向けてたんですね。
ヴィヴィとマツモトが計画を実行しても、都度修正していたんです。どうりで、て感じですよね。おかしいはずです。全然、あのタワーが小さくなるどころか、むしろ成長してたもん。おっかしいなー、って。
ヴィヴィとマツモトがどんなに頑張っても全然歴史が修正されなかったのは、そういうことだったんです。まぁ途中、全ては上手くいった、みたいな風になって、ヴィヴィもマツモトも眠りにつくのですが。全然違ったんですね。
そして、ヴィヴィの成し遂げた百年からAIが判断して、人間は排除した方が良いという結論に達してしまいます。
ヴィヴィとマツモトがやってきたことが、まさに全て無駄になった瞬間ですねー。非常に衝撃的な内容でした。
AI的には人間がAIに依存しすぎるので、ぶっちゃけ、もう人間は必要ねぇんじゃねーかと。代わりにAIが新たな人類になった方がいいんじゃね?という恐ろしい結論を下すのです。
ちなみにこの結論は、いわゆるシンギュラリティポイントと呼ばれているものらしく、それまでにも各所で言われていたことで、特に新しい概念ではないらしいですね。僕は知りませんでしたが。
それにしても、新しい人類にAIがなるにあたり、それまでの人類を滅ぼす、というのはあまりにも極端な思想ですよね。お前らホントにAIか?と疑いたくなるくらい短絡的な印象を受けてしまいました。
で、ヴィヴィがAIとして初めて作曲をした、という話はさっきもしましたが、それは人のために、良かれと思ってやったことだと思うんです。人が幸せになるために歌う、その使命のための作曲だったと思うんです。
ですが、却って「AIにも作曲ができる、創造ができる。であれば、もう人間にしかできないことはない」とAIを増長させるという皮肉な結果になってしまいました。
しかし、アーカイヴはヴィヴィに最後のチャンスを与えます(神様気取りですか?)。
ヴィヴィに歌を歌ってほしい、とリクエストするんです。
多分、ヴィヴィが心のこもった歌を歌うことができるようになったのが、人間がいたおかげであるならば、人類の有用性が証明される。
しかし、ヴィヴィは歌えなかったんですねー。
この期に及んで歌が歌えない。心をこめるということは、それほどまでに難しいのか。
そして物語は破滅を迎え、このまま「デビルマン」的なバッドエンドかと思いきや、もう一度過去に戻ってやり直すというウルトラC。
しかしですね、それは松本博士が襲われるのを防ぐことができない、その時間軸までという制限付きです。
なんかこれがねー、僕としては納得できない。
博士をギリギリ助けられない過去までしか戻れない、というのは、なんというか「博士の死」という扇情的な演出のためだけのことのようにしか思えないんですね。必然性がないんです。
あるとすれば、それは「物語のため」であって、そこまでしか戻れない論理的な理由がない。
そして物語は無理矢理最終回に雪崩れ込むのです。
最後の最後にコケた
最終回はですねー、正直、それほどグッと来なかったですね。
どちらかというと、最終回ひとつ前の方がゴツンと来た感じ。前回のようなテンションはなかったように思います。極端な話、前回で最終回でも良かったほど。
最終回は、後日譚、といった雰囲気すらありましたかね。もっと言ってしまうと、無理矢理なハッピーエンドのために用意された回、といった感じ。
やはり今回、歌がテーマであって、そのことが最後のクライマックスのハードルを上げてしまったのではないか、と思います。
正直、最後の歌はそれほどの名曲でもないし、ボーカルも良いわけではなかった。心を込める、と言われても、この歌を聴いて、心が込められてるなぁ、とは思えなかったですね。
「ヴィヴィ」の最終回を観た後、「PONTSUKA!!」を聴いたんですねw で、そこで流れていたBUMPの曲を聴いたら、それこそ心が込められてると感じたんです。
歌も曲も差は歴然。チャマ曰く「藤くんはびっくりするくらい気持ち込める」そうですし、それは聴いていてよくわかる。それもまたすごいことだと思うんでうけどね。
逆に言うと、藤くんの歌聞いて、心を込める、ってことはどういうことか、ちょっとその一端がわかったかもしれないです。
まぁ、そこは単純に僕がBUMP好きってだけの話なんですけどw まぁともかく、個人的には、VIVIの歌にはあまり感動できなかったんですね。
で、ちょっと思ったのは、なぜヴィヴィが自分で曲を作ると言い出したか。それは多分、本当に心を込めるのならば、究極的には自分で作った曲でないと心なんて込められないからではないか、ということ。
やはり、人の作った曲だと、どうしてこの人はこの曲を作ったのか、結局はわからないと思うんです。優れた歌手の人なら、そこを想像し、あまつさえ補い、ほとんど自分で作るくらいストーリーを想像してしまうと思うんですけど、本当のところは作った本人しかわからない。
歌に心を込めるなら、他人の作った曲じゃなく、自分で作らないといけないんじゃないか、そういう思いがヴィヴィにあったとしたら非常に納得できるし、そう考えてのことなら、この要素は非常に素晴らしいと思います。
話は少しズレましたが、「VIVY」は劇作に音楽を絡めることの難しさを改めて浮き彫りにしてしまった感じがします。名曲とは狙ってできるものではないんですね。
ただまぁ、ここらへんの良い悪いの感覚は個人の感想でしかなくて、「VIVY」の曲良い!って人も結構いるみたいですからね。そこらへんの感覚は個人のものだから、「VIVY」の最後の曲感動した!っていう感想も、それはそれで、まぁ言ってみれば「正解」でもあると思います。
ただ、僕個人の感想に戻すと、やはり「VIVY」は最後の最後で失敗してしまった作品でありました。
なぜなら、何度も言うけど、歌に感動できなかったから。
歌に比重を置きすぎると、その歌で失敗してしまった場合、作品全体がダメになってしまう。
例えば「マクロス」は羽田健太郎や加藤和彦、そして菅野よう子という天才が歌を作りました。歌うのも、控えめに言ってもそれなりに優れたボーカリストたちだった。音楽が優れていたんですね。
逆に「けいおん!」は音楽に比重を置いていない。彼女らは天才じゃないし、バンド活動に熱心だったわけでもない。あくまで音楽は添え物で、メインは彼女たちの関係性でした。だから、そんなに音楽が優れていなくても成立したんです。
音楽を作劇のメインに据えた場合はその音楽が優れていることが絶対条件となります。
あとはですねー、最後にヴィヴィが歌を歌うことで壊れてしまったのですが、なぜそんなリスクが生じるのかは説明もなく、意味不明でしたねー。
徒らに主人公にカタルシスを与えようとしているようにしか見えなかった。これも松本博士をギリギリ助け「させない」演出と同じで、物語のための物語、という感じで、逆にあざとさしか感じられず、全然感動できませんでした。
「歌に心を込める」とは
物語的には、歌に心を込めるとは、自分の記憶、ひいては経験、という答えを出したんですね。
そこはひとつ「答えを出した」という点ではキッチリ結論を提出した、とは思います。
一定、納得はいきました。人は経験の積み重ねで感受性が豊かになり、心も育つ。そして歌に心が込められる。
しかし、やはり「心を込めて歌う」ということに「記憶」という明確な答えを出したことは、やはりAI的な紋切り型の答えであるように思います。
心なんてものは人間でもよくわかっていない。それに、たかだか全十三話のアニメシリーズという短い中で答えを出すというのは、よくよく考えたら不遜な態度かもしえません。
多分、心は「わからない」が答えで良かったとも思う。
そして、やるとしたら、物語の完結は、最後に中途半端に過去に戻るのではなく、1回目でバシッとヴィヴィが歌って終わらせなくてはいけなかった。
あるいは、やはりバッドエンドで人類はAIに滅ぼされた、でも良かったと思います。
それとやっぱり、ヴィヴィは結局心を持つことはできなかった、でも良かったとすら思います。
AIが心を持ったら、それこそ人類はいらない、ということになってしまいますからね。
うん、まぁ、それだと……もっとつまんないことになってしまいそうですがw
ただですねぇ、そもそもの話なんですけど、ヴィヴィに「歌で人を幸せにする」使命を与え、そのためには心を込めて歌わなくてはならない、としたのはですねー、ヴィヴィを開発したおばさんの博士だったんですね。
そのことが、AIによる人間虐殺事件、AIの反乱の元凶だったような気がしてならないんですよねー。
おばさん的には人の心の正体を知りたい、というのが動機だったようなんですが、それはパンドラの箱なのではないだろうか。
実際、助手みたいな人が、そんな曖昧なものを使命に入れて大丈夫ですか、と意見していいました。
俺、多分、こっちの人の意見の方が正しいような気がする。
時間においてけぼりにされる感覚
あとですね、僕がこのアニメ観て感じたのは、ヴィヴィって、AIであるから当然といえば当然なんですけど、全然歳を取らないんですね。
でも、周りの人間たちはどんどん歳を取っていく。
ヴィヴィの戦いは百年の戦いだったわけですけども、何かヴィヴィだけが時間に取り残されている感じがあったんですね(マツモトもだけど)。
オサムくん(松本博士)はどんどん成長していくのに、ヴィヴィの姿は変わらない。
この「時間に取り残されていく寂しさ」みたいなものを僕は割と痛烈に感じたんですね。
この焦燥感にも似た気持ちは何なのだろう?