ロド日記

azzurri日記

僕がお金を支払ってもいないものに対して言いたい放題言わせてもらおう、という割と身勝手なブログです。

NHK正月時代劇「いちげき」ネタバレ有り感想。クドカン自身を投影?!


クドカンが脚本を担当したNHKの正月時代劇「いちげき」をNHK+で観ました。

元は小説で、それを原作とした漫画の方のドラマ化という、ややややこしい経緯を辿ったドラマとなっています。

もちろん楽しみにしていたんですけど、どんなもんかなー、という感じが正直強かったです。

そしたら、めちゃくちゃ面白かった! やっぱり録画しておきゃ良かった、と思ったくらい。

テンポが良い

やはり、先ずはテンポの良さが挙げられると思います。

今回改めて、やはりこういう活劇エンタメはテンポが命、のような気がしました。

とにかくテンポが良いんですね。サクサク進んでいく感じ。1時間半という長さはまるで感じさせなかったです。

内容的には、武士から散々嫌な目に遭わされ続けてきた百姓が、ほぼ騙される形で武士として登用される、というところから出発して、あれだけ嫌いな武士に自分がなるという葛藤、初めて人を殺した恐怖、階級闘争などを限られた時間枠の中で実にテンポ良く描いていたと思います。

三幕で区切っていたのも良かったですね。そのことがテンポの良さを出していた大きな要素だったと思います。そうやって短く区切ることで、人は時間を把握することができて、テンポの良さを感じることができるでしょう。

神田伯山の講談

またその幕の際など、途中途中で神田伯山の講談が挟まれるのも良かったですねー。

それによりメリハリを出すことに成功していたように思うし、何よりやはり神田伯山の講談は迫力がある。

ちなみに、勝海舟が出てきた時、伯山が「やっと知ってる人出てきた。知ってる人が出てくると安心しますね」みたいなことを言った時はニヤリとしてしまいましたねーw

やはり時代劇、クドカンということで、かの大名作大河にして残念ながら低視聴率大河「いだてん」を思い出してしまいます。

「いだてん」は、とかく「有名な人が出てこなかった」と批判されていたのですが、その批判に対するクドカンからのアンサーというか、嫌味が表れているようで痛快でしたね。

思うんですけど、結局大河を観ている層ってのは、ドラマを観てるんじゃなくて、有名な人の立志伝、偉人伝、再現VTRが観たいだけなんじゃないですかね?

じゃなきゃ、あんなに素晴らしい大河があんなに低視聴率なわけはない。実際、批判してる人は数字をあげつらうばかりで、肝心要の内容について文句言ってる…いや、文句「言える」奴はほぼいなかったですからね。

逆に内容について語ってる人は絶賛が多いイメージ。しかも、「いだてん」を評価できてる人はちゃんとした人が多い印象。

役者

あと、役者が良かったですねー。

薩摩侍の杉本哲太はさすがに武者姿が似合っていたし、薩摩役人のシソンヌじろう、そして勝海舟尾美としのりの、インテリならではの人を下に見た感じとかも、らしさ満載でしたし、伊藤沙莉は安定の良さだったし、ティモンティ高岸は時代劇の性格俳優が完全に板についてきた感じだし。

意外に良かったのは西野七瀬の妹と芸者の一人二役。この役が存外重要な「作劇場の小道具」にすらなっていたと思います。

芸者の子が妹に似ている、という情報を手に入れた杉本哲太が、芸者似の妹を探し出し、村を焼き払う。そこで主人公の復讐が出来上がり、戦う理由ができてしまう。その意味で非常に重要な役を好演していたと思います。

芸者役の時は妖艶さもあったと思うし、逆に妹のあっけらかんとした感じが、やけに悲しかったです。

松田龍平怖ぇ…

しかしなんと言っても良かったのはやっぱり松田龍平ですよね。

この人、ナチュラルに怖い(^^;; ポソッと当たり前のように怖いことをいうし、それがめちゃくちゃ迫力ある。喧嘩慣れしてる感じというか。

またこの役、中間管理職の悲哀もあるんですよね。思えば、杉本哲太の役もそうでした。この二人は直接絡むことはなかったんですけど、部下と上司の間、もっと言ってしまうと時代の間で最も翻弄された登場人物であったかもしれない。

杉本哲太は復讐に燃え、武士や人の道を踏み外し、松田龍平も結局は百姓たちと同じように勝海舟の捨て石でした。

また、相手の心情を看破するようでいて、その実、自分の心情を吐露するセリフが上手かった。松田龍平は部下に「(一撃隊に対して)情が移ったか」と冷たく言い放つんですけど、それは自分のことであったと思います。

説明しすぎ?

ただ、セリフといえば、ちょっと心情を説明しすぎな感は否めなかったように思います。

特に、染谷翔太が自分の村を杉本哲太に襲われ、妹の亡骸を前にした時のセリフは長々とした説明台詞だったと思います。

さしものクドカンといえど、ここは最近のドラマの流れには抗えなかった、ということか。なんせ「わかんないはつまんない」ですからねw 随分腐った風潮が広まったものです。

クドカン自身を投影?

あと、今回ちょっと思ったのは、百姓たちが初めて人を殺した、その恐怖なんですけど。

イーストウッドアメリカン・スナイパー」を思い出してしまいました。現代の戦争での帰還兵の苦悩を彷彿とさせるというか。

百姓たちは薩摩の辻斬りたちを始末した後、意気揚々と井村屋でバカやるんですね。でもそれは、そういった恐怖を紛らわすためだったんです。

多分、自分が自分じゃなくなる感覚というか。

それで、それは売れた後のクドカンの感覚が投影されているのかもしれない、とちょっと思ったんです。

百姓から武士になる。一介の小劇団の座付き作家から、全国区のテレビドラマのスター脚本家となる。

自分が自分でなくなる感じ。自分が嫌いだったものになる感じ。そういった自己の経験が投影されているのかもしれない。